18代目中村勘三郎を想う

18代目中村勘三郎が亡くなった。

早い。早すぎるその死を悼むに悼みきれない、悔しい、惜しい、その言葉に尽きる。これから先の歌舞伎を牽引していく人が、新歌舞伎座の舞台上に立つ上で必要不可欠な人が、57歳という若さで死ぬなんて、本当に信じられない。芸と、華と、愛嬌を兼ね備えた、稀代の歌舞伎役者だった。舞台の上の勘三郎を観ていると、本当に舞台が、歌舞伎が、人が好きなんだなとひしひしと伝わってくる、そんな人だった。

私が歌舞伎を観るきっかけとなった根本的な人なんだろうと今になって思う。若い世代の人と歌舞伎を結びつける、そんな存在だった。そのきっかけとなった勘三郎が、これから先も観続けるであろう歌舞伎の舞台に、永遠に現れないなんて想像できない。本当に惜しい。

亡くなってから、ずっと勘三郎の出ていた舞台映像を観ていた。歌舞伎座さよなら公演での助六で通人を演じた勘三郎を観ると、どうしてこうなったんだろうと益々思う一方で、もしかして何か予感していたんじゃないかな、とふと思った。そんな言葉だったと思う。團十郎に「大病克服してくれて本当に嬉しい、良かった」と告げる姿に、なんとも言えなくなった。

でも、実はこれは壮大などっきりで、葬式の時に『嘘でしたー!だまされてやんのー!』って大笑いしながら棺桶から出てくるんじゃないかって少しだけ信じている自分がいる。そういうキャラクターをしているから本当にそうなってほしいと思っている自分がいる。そうしたら『ふざけんな!』って復帰舞台で物を投げつけてブーイングしてやるのにな、なんて。でもこれが現実で、勘三郎は死んで、18世中村勘三郎として後世に語り継がれていくんだな・・・と思うと物凄く寂しくて、悲しくて、辛くて。ぽっかりと心の中が大きな穴が空いたかのようで。どうやってこの穴を埋めたらいいのかが分らない。本当に歌舞伎界にとって大きな存在だった。そんな人だと私でも思う。

当代勘九郎が、南座の口上で『父をわすれないでください』と言っていたけど、忘れられるわけないんだよな。その言葉を言っている人間の、顔が、声が、本当に勘三郎に瓜二つになってきて。舞台を観る度観る度に、そっくりになっていくその姿・・・。勘九郎の姿を観る度、声を聞く度に、勘三郎の姿をきっと思い出すから、だから忘れることなんてできない。むしろその面影を追いかけて逆に勘九郎に辛い思いをさせるかもしれない。でも、暫くは追いかけさせて欲しい・・・そう思う。後ろ盾となる父親も、祖父も、この2年で相次いで亡くして、これから様々な面で辛い時期になるかもしれない。私が出来ることって言うのは、舞台を観に行く、ただそれだけのことしか出来ないけども、勘九郎七之助共に良い役者になれると信じているので、ずっと応援し続けます。

本当に、惜しい。悔しい。なんで今年の春まで興行していた平成中村座を観に行かなかったのかと今物凄く後悔している。勘三郎だしまた来年大阪に来るとか言うし、襲名でも来るからその時でいいか、なんて安易に思っていた自分を怒りたい。もう二度とそのお姿を拝見できない事がこれほどにまで悲しく、悔しい事だと思わなかった。もう一度その姿を観たかった。勘三郎の鏡獅子を、一目見たかった。

最後にお姿を拝見したのは、去年の夏、大阪新歌舞伎座での9月大歌舞伎でした。病から復活してこれからだ!と思っていた舞台でした。その時のお姿永遠に忘れません。勘三郎さん、楽しい時間をありがとうございました。私が楽しんだのはほんの少しの時間でしたが、それでも永遠に私の中で生き続けていくことになると思います。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。