新型コロナウイルスの今とこの先の未来

今年も残り3か月となったことに今しがた気付き、時の流れの速さと、この混とんとした2020年を総括するにあたって皆々どのように評価するのだろうかと気になった。というより9月半ば過ぎたよびっくりだよ。


感染者数は鰻登りだった7月以降、この田舎町でも感染者が続出して、さらに感染が拡大している都市部の人間が往来する状況に狂っているのかと正直に思うところ。田舎の人間が、コロナにおびえ、というより周りに広げてはならない・・・だから今は出かけない、と考える一方で、都市部の人間は平気で旅行に行き、帰省しようとする。(実際に親戚が帰省しようとしていて、この感覚の違いが何なのか全くもって理解できない状況にある。そして親戚の家族には医療従事者がいるということも忘れているのかと。倫理観や客観的な思考が欠けているのだろう)まぁもうそんなもの長期化してきた新型コロナウイルス対策に於いて意識が薄れてしまうのだろうなと思う。あほかと言いたくなるけど。

よくよく公衆衛生とはなにかと改めて意識するようになったわけですが、冷静になると通常時であっても他人のくしゃみとかで飛沫が飛び交うなかで今まで生きてきたのか・・・と気付かされ(飛沫の拡散が視覚化されてしまうと最早気持ち悪さしか残らない)コロナウイルス云々ではなく、根本的な衛生について改めてマナーとして対処しなければならないのだと思った。(昔からくしゃみ等で口を覆わなかったり、正面ではなく横向いてくしゃみして、結局横の席の人間にかかるとか、そういうの)本当にね、気持ち悪いの一言でしかない。


で、結局最初から言っている落としどころはどこになるのか、という問題。いずれはインフルエンザと同じ扱いにしたいのだろうけども、それにはワクチンであったり治療薬が必要である(この場合、ワクチンが決着なんだろう)政府が日本国民全員のワクチンを確保した、と発表したことにより、日本における新型コロナウイルスの終着は来春になるだろう。そこまでが、耐え忍ばなければならないときなのだと。まるで戦時中のようだ。でも実際そうなのだ。


過去の感染症の対策をふと思い浮かべることがあるのだが、強制力を持たせることのリスクや、薬害等の問題、感染症に対する差別(ただしこれは本当に感染する、という点も踏まえる必要がある)、それを今再びこの2020年に問題として直面するとは思わなかった。(ハンセン病サリドマイド薬害などなど)正直なところ落としどころは見えたが、それを得てもこの先生きていかなければならないとなると不安しか残らない。(ハンセン病を書いたことは、感染しないにも拘わらず隔離的措置をとったこと、そしてその偏見や差別という問題が、この新型コロナウイルスでもこの先問題になるかもしれないというところだ。感染する、しないの違いがあることは理解しているが、この未知のウイルスに対しての対処が正しかったのか、ということを見たときに訴訟等になる可能性も捨てきれないなと思った)


私個人としては、ワクチンは打ちたくない。(そもそもインフルエンザでもワクチンを打ってこなかった。そして感染したことは一度もない)副作用のリスクがあまりにも大きすぎる。ならば自分から感染しないためにもマスクや手洗いうがいという基本的なことを守るしかないなと考えている。来春行われるであろうワクチン接種がどのようになるのか、そもそもワクチンとして認可されるのか、色々と気になるが、研究者でも公務員でも政治家でもない私はただただこの先のことは傍観するしかないのだと思う。それだけだ。