シン・ゴジラ

シン・ゴジラ」見ました。


庵野秀明良くやった。東宝映画よく頑張った。本当に東宝さん頑張ったと思う。東宝が60年前にゴジラを生み出した責任を見たような気がする。ゴジラが日本に返ってきた。ゴジラは日本でこそその意味が生きるのだよ。マグロ食ってたり、自国の非を都合よく改変したりするようなゴジラが評価される(されてないのもあるけど)現状に憂いていたから今回の映画は本当に良くやったと言いたい。

ゴジラとは本来破壊神であり自然災害でもあり人類の且つ敵であり我々への警鐘であることを忘れてはいけないのだと思う。そしてゴジラは終わらないということ。人類がいる限りゴジラは現れる。ゴジラとはそういう存在なのだということを。

全体を見終わったあとに感じたことは、これは「日本」そのものを表す映画だということ。日本の精神性や、国家としての現状、成り立ち、社会システム、現代人の人間性、そして歴史。初代ゴジラは戦後10年も経たずに公開されている。その時の世界の世相や日本の抱える問題、それらが表現されている映画で、何よりもまず大事になるのが「見る側の心理」だと思う。日本各地が火の海に包まれ、類を見ない被害を受けた時からたったの10年。リアルタイムであの映画を見た人が感じたものをのちの時代の人間が理解することは非常に難しいと思う。ただ、現代日本が21世紀に入って経験した暗黒のような時は確かにあって、その最もたるものが東日本大震災だと思う。あの時の絶望感、悲しみというものは薄れることはない。そしてあの時から日本がまた大きく変わったことも事実。言葉には言い表せないけれども、大きく変わった瞬間でもある。それから5年の月日を経て今「シン・ゴジラ」が公開される意味。初代が水爆実験に対する警鐘で描かれたのならば、今回大きなトリガーとなっているものは震災なのだと思う。実際庵野も震災を経てまた心理状況が変わったと話していたし。

政治的な話とか、原発の問題とか話すことではないとは思っているけども、でもどうしてもそこは連想されなければならないファクターであると思うし、日本人の根底に根付いてしまっている以上致し方ないとは思う。不謹慎である、と言われることも分かる。が、でもゴジラの存在が警鐘であるならば、そこは非常に重要な要素なのだと思う。

映画自体の作りからいえば、確かに途中中弛みはあるし、理系の話は分からないし(超文系)、難しい部分もあるけども、でもそれでも伊福部先生の音楽と総攻撃の映像が出れば盛り上がるよね。もちろん絶望はあるけども。一番は放射熱線のシーンだけども、あの絶望感はさることながらゴジラに対しても感情移入してしまうような「痛み」が伝わってきてなんとも言えなかった。焼き尽くされる恐怖と悲しみはさることながらゴジラもただやってきただけなのに(正直遊んでいるだけのような気がしてね)わけのわからないものに突然攻撃されるのだよそりゃ怒るよ痛いよって思うのね。だからこそなんとも複雑な心理状況になる。


細々とみれば自衛隊が掃討作戦練る際に「陸海空協力しましょう」といったときに旧日本軍エ・・と思ったし、ゴジラのヤシオリ作戦の時に使うポンプ車の話を聞いて「これ、原発に対して地元企業が政府に貸し出そうとして自民党通じて進言したけど、直前で却下されちゃった奴・・・」と思ったり、凝固剤作るときに官民問わず全生産ラインを結集させようといわれたときは、サリン事件の時の解毒剤用意するときの話みたいやなあとか、やっぱり最後にはダンプとミキサー車よね!ってところに、結構昔から奇抜な作戦を練る日本だからなと納得させられたり、(あさま山荘事件の鉄球とか)、スパコン並列化の依頼をかけた時にやっぱりドイツは旧同盟国と思わされたり、中露は脅威なのねと思ったり、でもやっぱりなんだかんだでUSAよねえとか。


まとまりがない。


ヤシオリ作戦と最後については、とんでもない作戦だと思うし、無茶だとは思う。日本に全体を守るために個を犠牲にしようとする考えができるのかと疑問にも思った。(それが大義であることは理解しているし、それが国家だとも思う)でも、日本人にあの決断ができるのだろうか。考えさせられる。ヤシオリについては神話のお話で、八岐大蛇を退治するために用意されたお神酒だけども、そんなところにも精通していなければ官僚にはなれないのかなんていう話は置いておいて、八岐大蛇自身についての見解に「洪水」の描写であるという考えがあるというところも少し味噌かなと感じる。(洪水伝説って世界各地にあって、地球が寒冷期から温暖な気候に変化したとも考えられていたり)

まああのゴジラキングギドラになるとかそんな話だったりして!笑


うまく文章が書けない。眠い。

何が言いたいかというと、「国家とはなにか」ということなのかもしれない。国とはなにか、何をもって成立するのか、国家としてなにが必要で、何を切り捨てなければならないか、覚悟を国も国民も持っているのか。難しいけれども、考えなければならないのかもしれない。

ディズニーランドへ行った話④

全体的な話。

①ディズニーのサービス
社会人として働く経験を経てからのディズニーランドを経験すると、接客サービスってこんなものだっただろうかと考えてしまった。その話をふと会社の人に振ってみると、ディズニーを基準にほかの企業が模倣しているから、それが普通になっているのではないかと言われ、はっとした。そういえば言われてみると、ディズニー自体も企業研修プログラムの一貫として接客サービスについて講習を行っている。そして客のニーズの細分化が著しくなってきた以上、企業が提供するものも昔より増えた。だからなのだろうか。

ディズニーと比較されるパークにUSJがあると思う。ここ数年USJに行く機会が多くあり、そこでのサービスを振り返ると余りにフレンドリーで、スタッフ側から声がかかることが多かった。(写真撮影の際など)園内の突発的なショーも多く感じた(単に園内が狭いからかもしれないが)。案内も分かりやすかった。(すぐにスタッフに聞ける環境にあった。ただ外国人客が爆発的に増えたためかもしれないが)なにかここに今、ディズニーとUSJの差があるように感じる。良い意味で優等生なディズニーと少し田舎のヤンキーチックなUSJ。どちらも満足できるのだろうけど、世の中がディズニーと同じと化してきた以上、そこに新鮮味も有難味もなくなってきてしまったのかもしれない。

でもまあ個人的にはそんなに行くところではないのでなんでもいいけどね。嫌なことさえなければ。


②キャラクターとは
最近客観的に物をみてしまうので、キャラクターと客との接し方を見ていたのだけど、キャラクターも人なんだな、と現実に返る瞬間がいくつかあった。キャラクターをキャラクターとしてみるか、「アイドル」として見て接するか。キャラクターの'キャラクター'よりも特別感を得ようとする人が増え、そこにキャラクターのアイドル化が出てきてしまう。だからあんなに写真やら動画に勤しむんだなと。何を見ているのかと聞きたくなるし、演じる側も興ざめしないのかなと思う。自分が舞台とかそんなものを見てきているからこそそこに着目しちゃうのかもしれないけど。いやなんかもっとキャラクターしていてほしかったよダイヤモンドホースショーのウッディさん!

まぁ、なんか窮屈な世界だとは思うし、マンネリ化も激しいんじゃないかなあ。同じこと繰り返すってモチベーション下がるって劇団四季で学んだからさ。笑 新しいショーが始まれば違うだろうけど、でもつまらない時もあるんじゃないかな。ダンス踊れるのに盆踊りみたいなのばかりとか。

色々ぶつぶつ書いたけど、頑張ってねということで。

③2016年5月27日夕方頃に東京ディズニーシーのグリ施設にいたグーフィーさんへ。
「近くで見ると怖いなあ」とか言ってしまってすいませんでした。キャラクターってそんなに耳聞こえてないだろうとか思ったけども結構音を拾っていることに気づいてしまって大変申し訳なくなった。でもあんな面と面向かって対峙したら怖いんやって。身長高いし。


というわけでおしまい。ディズニーって夢と金の国だなって感じたよ!ハハッ!

ディズニーランドへ行った話③

二日目東京ディズニーランド編。

①am7:45
ランドホテルに宿泊したため15分前エントリーで入園。モンスターズインクのファストパスをゲットする。友人が代表して並んでくれたのでその周辺で待っていたらミニーとグーフィーとすれ違う。グーフィーはハイタッチをして通り過ぎてくれた。が、だいぶ疲れてたけど大丈夫か・・・。笑

②am8:00
ファストパスをゲットし、スターツアーズへ並ぶ。エピソード7の映像が追加された特別版だったため、BB-8など出てくる。迫力がかなりアップしていた。気がする。
そしてそのあとモンスターズインクライドの時間なので並ぶ。これもまた疲れるライドだった。何故ピクサー系は疲れるタイプが多いのか。

③am9:00すぎ
ホーンテッドマンションに入る。

④am10:00すぎ

記憶がなくなってきた。どこかのタイミングで白雪姫とイッツアスモールワールド、ジャングルクルーズに乗る。ランチはダイヤモンドホースショー。ウッディのファンサが凄かった。ラストはカリブの海賊。この塩素の匂いがたまらんよね。懐かしい。白雪姫中にパレードが流れていたから、それくらいの時間帯になる。

16時くらいに園を出る。エントランスではマックス、ティガー、アリス、スクルージおじさんがグリをしていた。もっといたかも。マックスだいぶ小さいんだね。びっくりした。

ランドは色々思い出があるけど、キャラクターグリーティングってもっと自由だったような気がしたけど、今ではそれも難しいんだなあってちょっと思った。昔はアリスに簡単に声を掛けれた気がするのに。あの花の写真をプレゼントしたアリスのことを少し懐かしく思った。

半年が過ぎる

あれから半年が過ぎる。思っていた以上に、SMAPの活動の制限が大きいことに戸惑いと憤りを感じている。こんなにも、難しいことなのかと改めて直面してどのようにすれば良いのかと考えてしまう。

個人の活動は問題がなく、「SMAP」名義の活動ができないということはつまりは制裁なのだろうと予測できる。若しくはまた再び協議に入ったのかもしれない。(3月までは問題なく動いていた辺りがどうもキーポイントのような気がする。)このままでは着地点が見えない。どういう方向に持っていくのか、それとも向こうが倒れるのを待つのか。どうするんだろうなあ。


最近、中居さんがタレントの復活に対して手を差し伸べる(形の)企画に首を突っ込んでるけど、SMAPにはそんな直接的に手を差し伸べてくれる人がいないなって感じて寂しい気持ちになる。だれか助けてあげてよ~なんかもう超法規的な力とか、治外法権的な力とか!笑

SMAPの曲を聴くたびに涙目になるのだけど、また笑って、時には文句や批評をしながらSMAPを見れる日を待っている。

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花

ありがとう

ありがとう

ディズニーランドへ行った話②

今更ながら久しぶりにディズニーランドへ行った話。


[1日目]
am5:00~10:00
地元を始発で出て名古屋駅へ向かう。ちなみにこの日は伊勢志摩サミット2日目という日付だったが、特に懸念すべき事項は全くなかった。名古屋もサミット直前よりも落ち着いた雰囲気・・・というか早朝だからかもしれないけど普段通りの様子。

名古屋駅新幹線ホームでコーヒーを買おうとうろうろしていたら会社の上司に出くわす。現実に引き戻される。

7時前のこだまにて東京を目指す。安いツアーを使っているからこだまでののんびりとした旅になる。


10時過ぎに舞浜駅に到着する。天候は小雨。人は少なめな印象を受ける。ホテルのチェックインなどを済ませTDSへ向かう。

am10:00~13:00
TDSへ着いて早々にトイストーリーマニアのファストパスをゲットする。10時過ぎの時点で(11時前?)で最終のパスだった。(21時過ぎから22時)やっぱりトイマニの人気すごいのね。平日雨降りの日でこれだもの。土日や混雑期ってどうなるの・・・。

ファストパスを取った後BBBの抽選に応募・・・が勝手を知らずに抽選するからすぐに玉砕。夢のBBBが・・・!なんでやと思ったら最近リニューアルしたからかと納得する。

その後ミラコスタへ移動。中のグッズ売り場やら見学。ミラコスタは豪華だねえ。そしてビュッフェランチタイム。食欲がなく終わる。笑 いやおいしいのあったのよ。デザートのコーヒーアイスが地元のお茶屋で出していたアイスの味と同じだった。

食事後センターオブジアースのファストパスをゲット。これも20:30くらいの時間帯だった。

①海底2万マイル
一番並んだのが海底2万マイルだった。一番最初に乗ったのも海底2万マイル。

②アリエルランド
キングトリトンのコンサートを見て、劇団四季のLMとの差を考える。別に劇団四季は(というかディズニーのミュージカル担当部門)髪の毛を逆立てる必要はなかったと思うし、今なら映像使ってもっと海の中の雰囲気を出せるよなあと思ったけども、相手はディズニーだものテコ入れは無理か。セバスチャンとかもLK方式で動かせばよかったのにねえ。なんであんなのになっちゃったんだろう・・・なんて考えてしまった。本当ねえ、なんかねえ、オリエンタルランドとうまくやったら楽しいことになるんじゃないかとおもうんだけどねえ。
あと、クラゲの乗り物も乗る。

③アラビアンコースト
2層式のメリーゴーランドからジーニーのマジックランプショー。3Dに古さを感じる。今はまた進化したからねえ。友人お勧めのシンドバットに乗る。ライド中に流れる曲「コンパス・オブ・ユア・ハート」を聴いてる内に、この声知ってる・・・!この声聞いたことある・・・!「サカケンだ!」となったとき自分が心底気持ち悪く感じる。笑 劇団四季ありがとう。この場所でクリスタルウィッシュジャーニーの意味を知る。(ちなみに昼の時間帯のショーは中止だった)

ロストリバーデルタ
インディージョーンズアドベンチャーファストパスをゲット。これもセンターオブジアースとトイマニの間の時間帯。この場所の時点で夕方だった。グリーティング施設へ行く。グーフィー→ミニーの順番(スター様には会わず)。待機時間の圧倒的な差(15分待ちと40分待ち)からグーフィーが可哀想だということでグーフィーにまず会うことに。キャラクターとの 初グリーティングである。(以前のミッキーとの遭遇は軽くトラウマになっている。あの出来事からディズニーは大人は楽しめない場所なんだと感じてしまったところはある)

グーフィーとはまず写真撮影をし、そのあとふれあいタイム?なんかおちょくられた様なそんなグリーティングだったけども、たのしかったから良し。ミニーは直前で化粧直しに入ったので丁寧にハグをして迎えてくれた。そのときミニーの鼻に顔をぶつけるという不器用っぷりを発揮する。グリ中の仕草を見ると、悪女だなあという印象を抱いてしまった。スター様に合わなかった理由は色々あるけど、会わなかった。

⑤ダッフィーのあたり
ダッフィーの店でお土産を買う。物凄く混んでいるという噂を聞いていたけども、店内はがら空き状態。ここでダッフィーの勉強をする。そのあと近くのお店(ショーのできる場所)で休憩。ここで18時すぎくらい。外に出るとテーブルイズウェイティングのショーが開かれていた。丁度グーフィーの出番だった。(このショーの全体像を知り、ドナルドパートの可愛さにノックアウトされたのは後日談)

⑥タワーオブテラーのあたり
さすがにこれには乗れず。広場でクリスタルので遊ぶ。

⑦BBB
見れず。見たい。リベンジする!

⑧タートルトーク
19:30くらい。ディズニーで「志村ー!後ろ後ろー!」という芸当を見る日が来るとは思わなかった。

ファンタズミック
一番見たかったもの。でも途中からになる。やはり良い。イマジネーションだね。ハハッ!

⑩センターオブジアース→インディージョーンズトイストーリーマニア
最後に畳みかけるように3か所を巡る。面白かった。トイマニは疲れるし、流行る理由が分からないアトラクションだった。

⑪閉園
22時ジャストまで園内にいたことになる。初めてのシーは、人が少なかったおかげかほぼ全てを楽しめた。そしてグーフィーに目覚めた・・・。こんなこと予想だにしてなかったよ。

ディズニーランドへ行った話①


そして、グーフィーに堕ちてきた話。

5月27日、28日にディズニーリゾートへ行って参りました。8年ぶり?のディズニーランド、そして人生発のディズニーシー&ディズニーランドホテルへの滞在。

事の発端は年始の高校の同級生との新年会にて、私がシーに行ったことがなく親戚の子供たち(幼児から小学生)に馬鹿にされるという話から、連れて行ってくれと懇願したことに始まる。哀れに思ってくれた友人6人が奮起してくれ、どうせならランドとシーを攻めよう、どうせならオフィシャルに泊まろうということでさくさくと(本当に驚くほどさくさくと)決まったディズニー行き。なんせ最後に行ったのが8年前。その時点ですら幼児期以来の来園というテーマパークに程遠い生活を送っていた私である。8年前の記憶といえばミッキーとフリーグリーティングであえたのに子供に構って相手にしてもらえなかったことと、アリスに自分で撮って焼いた花のカラー写真を渡したこと、そしてエレクトリカルパレードに感動し泣いたこと。それだけである。何に乗ったのかも覚えていない。そんな状態である。

そんな私だが、ディズニー映画は好きだというか、強火セル画派でアンチCGデジタル派である。(ピクサー併合後のディズニーアンチともいう)好きな映画はファンタジアシリーズとノートルダムの鐘!なのでついでにいうと今のあのラプンツェルやアナ雪も解せないそんな古典的人間である。そんな私が今のディズニーリゾートへ行きどう思い、何を得たか、そして何故グーフィーに堕ちてきたのか。つらつらと不定期に書き落としていく。

杞憂

何となく、ああ大丈夫だと思わせてくれる。こんなにも安心できる。それで充分。


闇雲に走っていて、ふとこれが正しいのか不安になるけども、きちんと道標を指し示してくれる。遠いようで実は近くにある。凄く幸せなのかもしれない。

当たり前のように享受していたときには気づかなかったことに、今気付けている。

試練だけども、やればできるよ。