ディズニーランドへ行った話①


そして、グーフィーに堕ちてきた話。

5月27日、28日にディズニーリゾートへ行って参りました。8年ぶり?のディズニーランド、そして人生発のディズニーシー&ディズニーランドホテルへの滞在。

事の発端は年始の高校の同級生との新年会にて、私がシーに行ったことがなく親戚の子供たち(幼児から小学生)に馬鹿にされるという話から、連れて行ってくれと懇願したことに始まる。哀れに思ってくれた友人6人が奮起してくれ、どうせならランドとシーを攻めよう、どうせならオフィシャルに泊まろうということでさくさくと(本当に驚くほどさくさくと)決まったディズニー行き。なんせ最後に行ったのが8年前。その時点ですら幼児期以来の来園というテーマパークに程遠い生活を送っていた私である。8年前の記憶といえばミッキーとフリーグリーティングであえたのに子供に構って相手にしてもらえなかったことと、アリスに自分で撮って焼いた花のカラー写真を渡したこと、そしてエレクトリカルパレードに感動し泣いたこと。それだけである。何に乗ったのかも覚えていない。そんな状態である。

そんな私だが、ディズニー映画は好きだというか、強火セル画派でアンチCGデジタル派である。(ピクサー併合後のディズニーアンチともいう)好きな映画はファンタジアシリーズとノートルダムの鐘!なのでついでにいうと今のあのラプンツェルやアナ雪も解せないそんな古典的人間である。そんな私が今のディズニーリゾートへ行きどう思い、何を得たか、そして何故グーフィーに堕ちてきたのか。つらつらと不定期に書き落としていく。

杞憂

何となく、ああ大丈夫だと思わせてくれる。こんなにも安心できる。それで充分。


闇雲に走っていて、ふとこれが正しいのか不安になるけども、きちんと道標を指し示してくれる。遠いようで実は近くにある。凄く幸せなのかもしれない。

当たり前のように享受していたときには気づかなかったことに、今気付けている。

試練だけども、やればできるよ。

39!

香取慎吾さんお誕生日おめでとう!39歳!39歳か。すごいなあ・・・。
色々と、心労が重なることが多いと思います。無理せずに。穏やかに30代最後の年が過ごせますように。

あの報道から2週間近く。多くの報道が流れ、多くの賛同、憶測、バッシングを見てきた。何一つ心穏やかになることはないのだけど、ただ言えるのは、やはりメンバーの言葉を待つことが大事なのだなということ。

なにがこう落ち着かないのだろうかと考える。このまま人々の関心が薄れていくことなのか、ファンの真意と報道が180度違うことなのか、それとも今まで見ていたSMAPが虚像だったのか・・・色々と考えてしまう。


①関心を持つこと。

18日の生放送を受けて周囲の人からは「良かったね」と言われる。「なにが?」とこちらは思うのだ。でも彼らは「良かった」というのだ。終わったのだと、認識しているのだ。終わっていないと、認識しているファンからすれば、非常に恐ろしい言葉である。SMAPは公でなにか起こった時、5人が集まり発言する際には「SMAPです」と名乗る。それがなかった。その言葉が言えないのか、違う何かなのか。その時点で何も終わっていないと認識するのだ。ではファンはその認識を持てる、しかし一般人に関心を持ってくれとは言えない。どうかこの違和感に気付いてほしいと願うしかない。

②報道とは。
世界に一つだけの花をトリプルミリオンにしようとしていますが、これは決して解散阻止でもなく、事務所独立阻止でもない。ただ、ファンは見ているぞというアピールであったり、5人が一緒にいてほしいという願いであったり(そのためには独立も辞さない)ただただ、ファンの声をどう届けるか、と考えた上での行動だと理解しているから、マスメディアがこれを解散阻止のために!だとか独立阻止のために!と言われると非常に腹立たしい。(ちなみに私は5人で独立しよう!それができないなら事務所の言いなりになるのではなく5人の手で幕を下ろしてほしい派である)SMAPSMAPだけのものではない、ってつるべさんが言っていたけども、この言葉ってつまりこの行動にもつながっているんだと思う。

③アイドルとは。

アイドルってなんだろう、と考える。笑顔を振りまき、皆を元気にさせることがアイドルならば、SMAPは当の昔にそれから逸脱をしている。ただ、一方でSMAPほどのアイドルグループもいないと思う。今存在する唯一のアイドルではないかと思っている。SMAPはそれを体現できる唯一のグループだと思う。なにがって言われると、ファンに媚びているか、知ってて当たり前だと認識しているかというところなんだろうと思う。SMAPのコンサートに行くと、まず感じるのは「SMAPを知らない人でも楽しめるように作っている」ということだと思う。共通の振りだとかがあっても、ファンなら知っていて当たり前とはせずに、かならずメンバーが振りを見せ示してくれる。どう乗るべきか示してくれる。そこがアイドルの極意なのだと思う。


④信じるとは。
私が信じていることというのは「5人はバラバラなんかではなく、5人それぞれがSMAPというグループと、ファンを大切に思ってくれている」ということなのだけども、でもそれは本当なのか、と不安になる。メンバー個人それぞれラジオでメッセージを送ってくれているが、それでも信じることが難しく感じてしまう。なかなか難しい。常に誠意をもってファンにメッセージを送り続けてくれた。これほどにまでファンを思っているグループはないと思っている。ここ数年の言葉にも嘘はないと信じている。でも、少しの違和感はやはりあって、じゃあそれもファンと思っていることとは実は違ったのではないか、と考えてしまう。なにが正しいのかなんて最早分からない。「テレビの嘘が楽しい」なんて言葉もある。それでも、我々は信じていていいのだろうか。



なにが言いたいのかって、不安なのだよ。アイドルの頂点に立つ男たちがこんなことで惑わされ、活動にも制限が入っている事実に憤っているのだよ。SMAPの最後を見守ると心に決めてはいたけども、こんなことで幕引きになんてしてほしくないんだよ。幕引きならばメンバーが限界を感じたときであってほしいんだよ。どうかこんなところで負けないでほしい。最後には勝ってほしいのよ。

真実とは

このままきっとニュース記事はフェードアウトしていくのだろう。熱しやすく冷めやすい日本人はすぐにまた次の話題に移るのだろう。SMAPの問題もまた、忘れられていくのだろう。そして気付いたころに、彼らは徐々にその姿を消していくのかもしれない。

生まれて初めて、なにかしなくてはならないという使命感にかられている。なにもしなかったらきっと後悔すると思う。

いつだってトップスターにはスキャンダルと凋落がつきものだった。でも彼らのそんな姿は見たくないのよ。すでにそれは始っていることは承知している。確実に評判は落ちていく。特定の人間へのバッシングは続く。その評価で、たった一瞬の評価で過去25年積み重ねてきたものすべてが足蹴にされてしまうのはすごく悲しくもあり、悔しくもある。

私は、SMAPだけにはそうなってほしくないと願っている。だから行動する。何ができるのか、考えながら、着実に。


世界に一つだけの花

世界に一つだけの花

木村拓哉という男

色々書きたい言葉があるんだけども、時間がない。週末に備忘録としてまとめる。
とかく今一番伝えたい言葉がある。寒いと言われても構わない。


今一番世間の批判中傷を浴びているのは木村拓哉だ。彼が他の4人を裏切り、ジャニーズとの仲介を果たしたと書かれている。酷い内容だ。彼はいつだって利用されているのだ。いつだって批判を受けて生きているのだ。目立つ存在だから利用され、叩かれる。視聴率のこと、言動、行動、彼の個人をすべて否定されて彼はこの25年生きてきている。

そして今回最大のバッシングを受けている。「裏切り」という義理人情を重んじる日本人にとっては許し難い行為を行った「ようだ」として。

客観的に全体を流れるニュースを見れば、様々な内容が飛び交っている。すべてが正反対なのだ。会った、会わない。謝罪した、しない。独立・解散・・すべて憶測でしかない。その中で木村拓哉が悪役になるような記事を立て、バラバラになるように仕向けているようにしか見えない。

木村拓哉が言った言葉に「このままではSMAPが空中分解してしまう」とはこの4:1の構図にさせられてしまったからなのだろう。そしてそれは恐らく、事務所側がそうするように仕向けたのだろうと推測している。同じ構図を、あの会見の中で描いた。これは事務所の指示なのだと示すかのように。

彼がなぜこの役割を背負ったのか、と考えると事務所との契約の問題があると言われている。スポンサー契約の中に長期間に渡るものがありそのため辞めることができない。(不自然だなと感じたものの中に、いつもスケジュールは直前にしか発表しないSMAPであるにも拘わらず、2年後公開する映画の情報がすでに発表されたりしている)つまりは人柱のような状態になっている。

木村拓哉というブランドが木村拓哉を苦しめているなんて言ってはならないのかもしれないけれども、でも今まさに彼はそのような窮地に立たされている。

それに木村拓哉は「SMAPでよかった」とファンとSMAPしかいない空間でも吐露している。この20年近く一切弱音を吐かないこの男がそんな告白をしたのだ。義理人情に一番熱いのもこの男だ。SMAPメンバーへの誹謗中傷に対して感情を隠すことなく怒る木村拓哉が、SMAPを裏切るわけがない。木村拓哉は犠牲になったのだ。

待っていてくれと、先日のラジオで語った。待つ、というのは数日・数週間の話ではないと感じている。数年かもしれない。だが待つ。甘んじて待ち続ける。

2016年1月18日

悪夢のような1週間が終わる。
沈んだ気持ちで起きる目覚めの悪さも、夢なら醒めてほしいと願う朝も、まだまだ続く。大きく思うことは1つ。SMAPは終わってはならない。このような事務所のヒステリックで横暴な行動で、SMAPを終わらせてはならない。日本の芸能史に残るグループが、このような幕引きをしてはならない。

昨日のSMAP×SMAPでの生放送での謝罪。
恐ろしくどす黒く忌々しい空気に包まれ、恐ろしく顔を強張らせ、言葉を詰まらせるSMAPを私は見たことがない。幾度となく、同じ番組内で謝罪会見を行ってきた。友の一人が旅立った時も、公的機関に多大なる迷惑をかけたときも、霞が関を揺るがす事態になった時も、彼らはカメラに向き合い彼らの言葉で自分たちの気持ちを伝えてきた。だから、彼らは知っているはずなのだ「ファンの支え、存在」がどのようなものなのかということを。なのになぜ今改めて初めて気付かされたというような懺悔を行うのか。知っているだろう、覚えているだろう。なにを今さらと思うような言葉を紡ぐSMAPが、SMAPではない何か別の生き物に見えて仕方がなかった。囚人のように処刑される寸前の人間にしか見えなかった。

この5年彼らはテレビの前で5人並び、毎週支援を呼びかけ続けた。いやその前からずっと、彼らは自分たちの言葉を、気持ちを伝えていた。目線はしっかりとカメラに向け、真摯な言葉を投げかけてきていた。なのになんだ、あれは。草なぎは露骨に視線を合せなかった。抑揚のない声で、台詞と思われる言葉を紡いでいた。そして突然湧いて出てきた「ジャニーさん」という言葉。なぜ今まで一度も出てこなかった社長の名前が出てくるんだ。なにを社長に謝ったんだ。君たちはいったい誰に対して何を謝っているんだ。騒がせたことをか?それなら普段のファンの出待ちのほうがひどいだろう?彼らは視線を送るカメラの向こう側にいる人間に対してか?私たちファンには、ただただSOSしか、異常事態しか聞こえてこなかった。


私はこの放送を見たときに、まず初めに絶望した。この喉元に銃を突きつけられているような生放送はなんなんだと。なぜ開始の演出に「世界に一つだけの花」を使うのかと。これで幕引きにするために無理矢理に準備した場なのではないかと思ってしまうほどひどい茶番劇だった。「SMAPは死んだ」と思ってしまった。いつも自分たちで道を切り開き、発信してきた彼らとは思えない姿に酷く嘆いた。悔しかった。敗北宣言のように捉えてしまった。悔しくて悔しくて、涙を流した。こんなにも理不尽な仕打ちがあってたまるのかと。40を超えた大人の男が、大衆の面前に晒されて、何一つ犯罪を犯していないのに、業界内に流れる悪しき慣習と、経営陣の個人的な感情のためだけに頭を下げさせられている。その事実が悔しかった。21世紀に生きるこの時代にこのような醜い日本社会の縮図を見せつけられるということに背筋が寒くなった。そして思ってしまった。「SMAPを解散させてくれ」と。この絶望から彼らを救うには終わらせるしかないのかもしれないなんて思ってしまった。

しかしこれはこうしてファン心理を離すためのものであるのかもしれない。そして一般の関心をそらすためのものなのかもしれない。
確かにこれは効果覿面かもしれない。一般層のテレビしか見ないような人間はすでに問題は解決していると認識している。ファンの中には私のように気持ちを落としている人も多いはず。

木村拓哉は、先週放送された自身のラジオ番組で「いつか自分たちの言葉で話せるときがきたら、このラジオ番組で伝える」と明言している。それはすなわち、このテレビ放送の事態を予測していたということ。想定の範囲内の出来事だったということ。あれは「嘘」であるということ。忘れてはいけない。木村拓哉がどのような男か一番理解しているのはファンなのだ。中居正広は、行動で示した。あの2015年の大晦日に木村拓哉と連れだってSMAP SHOPにやってきた。それがすべてなのだと。そして彼らはいつもファンに向けて言っている言葉がある「おれたちを信じろ」と。

だから信じることにする。待つことにする。耐え抜くことにする。今悲しみは過ぎ去り怒りがこみ上げている。私もしがないながら一社会人として働く身。世の中の理不尽さの縮図を見せつけられて引き下がるわけにはいかない。ハラスメント、コンプライアンス遵守が歌われる現代で旧態依然な行動が大衆の面前でテレビという文明の利器を使われて行われた事実を許してはならない。ジャニーズ事務所の横暴さが日の下に晒されて状況はきっと変わると信じている。そうなるように行動する。

これは始まりなのだ。
2016年1月18日(月)この日は、SMAPにとって険しく長い道のりが始まった時なのだ。
こんなことが許されてはならない。芸能界を、いや日本社会を変えるべきときなのだ。

ファンは勝手だと思う人も大勢いることは承知している。でも違う。これは違う。ワタミ東芝といった企業が晒されてきたパワハラ・ブラック問題と同じことなのだ。日本社会の課題なのだ。

もう一度、SMAPの本当の笑顔を見たい。もう一度歌を聞きたい。私はSMAPを信じて突き進む。

不安になった時、どうしようもなくつらくなったとき、この憤りを思い出し力に変えたい。

SMAPを終わらせるわけにはいかない

あの底抜けな明るい笑顔を振りまく彼の口からあんな言葉を聞く日が来るとは思わなかったよ。
あんなにも、楽しんでいるように、愛しているように見えたのに、そんな彼があの世界から去る選択をするなんて夢にも思わなかった。あのキャラクターが大好きで、あの明るさに救われるときもあった。あのグループの中で緩衝材のような彼の存在に救われる思いがした。いわゆる草なぎのようなポジションね。


’30歳を目の前にして’

この言葉に、はっとする。アイドルだって人間なんだから、人生の選択肢に立たされることなんて当たり前のように存在する。私も、近い年齢であるけども、今年人生の選択をした。彼に比べると小さな変化かもしれない。大きく背負うものも、期待されるものもない。でも、それと同じじゃないか。先輩が30歳を超えてもアイドルとして活動していく中、至極自然な選択だとも思う。(納得できない気持ちはもちろんあるけれども。)人は何か大きな選択を迫られる時がある。自身の成長のため、経済的理由のため、誰かと人生を歩むため・・・決断しなければならない時が来る。30とはそんな年齢なのだと。

すっと憑き物が落ちたように綺麗な顔をして、さっぱりと去ることを告げる彼の姿は迷いがないのだと気づかされる。私もそうだった。退職を告げた後、不思議とすごく綺麗さっぱりとした気持ちになったことを覚えている。それと同じなのだ。


嫌だ、とはやはり思う。でもそれが選択なのだと。
選ばなければならない時なのだと。
だから、送り出さなければならないのだと思う。

理由って言いにくいのだよ。やっぱり元いた場所が好きだったから、綺麗に終わりたいから、去る理由を述べると、そこが元の場所のダメだったところと認識されてしまうから。愛した場所を愛したままで終わりたいんだと思う、彼は。


こんな後腐れなく書いているけど、こう書いている最中もKAT-TUNのライブDVD見て、車中はアルバム聞いているんだよ!未練たらたらだよ!泣けて泣けて仕方ないよ・・・。