SARS-CoV-2のワクチン接種体験談(2回目接種)

ワクチン接種者が増加してきて、会話の流れで「何を打ちました?」「どうでした?」というまるで何かの品評会のような会話が繰り広げられるこの現象について誰か名前を付けてほしいなと思う今日この頃。

先日2回目のワクチンを接種した。
1回目と同じ大規模接種会場で、ただ前回と違うのは年齢が拡大されていたため、待ち時間が長かったということ。前回は優先接種者ばかりだったのだなと実感。
例に限らずの副反応については、皆無でした。腕が軽い筋肉痛だなというくらいでまったくもってなにも症状が出なかった。前回のあの苦しみは何だったのかと尋ねたくなる一方、抗体できているよね?と不安になる。
接種後、医療従事者の親戚に聞くと、副反応は人によってまったくもって違う。強く出る人、全くない人と様々とのこと。ただただ大きく報道されることに対して恐怖を抱くことはせずにいるべきかなあと思う。
(ちなみに疲労と水分補給が大事とあったので、接種前にエステに行き、接種後は水分を大量にとりました。免疫反応だから、疲れていると余計出やすいんじゃないか?と上司と話していたので、前日の睡眠確保は大事だと思う。私は前日に職域接種運営という疲労困憊の仕事があったため、応急処置的にエステに行った。笑)

ただ、この感染拡大の最中、ぎりぎりのタイミングで接種ができてよかった。
私は重症化リスクを背負っているので、打つ選択肢以外はなかったと思っている。数年後、数十年後の副作用なんてわからない。今の生活に於いても従来はOKだったものが後の世になってNGになることなんて多々ある。(例えばアスベスト問題)
ならば私はただ実験体になって生きていこうと思う次第。

ということで、2UP完了。

SARS-CoV-2のワクチン接種体験談

当方30代前半にて基礎疾患を有しているため(高血圧)新型コロナウイルスワクチンの優先接種対象となり、6月上旬に主治医を通して行政へ優先接種申込書を送付。(基礎疾患を有する人間の優先接種にあたっては主治医の同意が必要なため)6月中旬に接種券が住民登録地へ届いたため、予約サイトを通して1回目および2回目を予約。
今回大規模接種会場を行政が用意するとのことで(人口30万人都市)そちらの会場を予約した。(かかりつけ医でも接種を実施しているがこちらは高齢者のみとのこと)

当日16時に会場へ到着。動線は一方通行となっており、まず検温・消毒をし、受付にて予約確認、その後受付外にて6人そろうごとに接種会場へ入場。接種会場では接種者は一切動かず、スタッフの方が担当ごとに接種者に回ってくる形。まず今回の接種の流れを個別に説明する方が来て説明を受け検温(病院で行う通常の検温)。次に医師が予診票をもとに問診を行い接種の許可を出す。その後接種担当者である看護師が接種部位を確認し接種。痛みは採血と同じような痛みだった。(基本的に針が細いので痛みは少ないそう)その後15分待機の説明と副反応についておよび2回目接種に関しての説明を受け、タイマーを渡される。15分経過後自分から申出して退場。(退場の方法は合っていたのかわからないけど、そのほうがスムーズかなと思って申出した)

という非常にスムーズな流れでした。会場内を見ると私が接種者として最年少に見受けられた。大体50代以上。高齢者の方が大規模接種会場で接種を受けるにあたっては入れ代わり立ち代わりスタッフが対応するので混乱するかもしれない。(だからたぶん私の住む行政は高齢者はかかりつけ医で可能にしたんだと思う)

接種直後は特にアナフィラキシーもなく、緊張による心拍の増加はあったけど特に何もなく、接種後は買い物をし、近場の商業施設で勤務する友達と話をして帰宅したものの、接種後6時間経過したあたりから接種部位の痛みと腹痛に襲われる。あと生理2日目のような倦怠感。接種部位の痛みは押さえると痛む程度で肩こりとかに比べると全然楽。ただ、腹痛というか下痢症状が出て少しトイレにこもる(30分くらい)。出すものを出した後は特に問題なく就寝。翌日は腕の痛みがあるけども腕が上がらなくなるほどではなく、徐々に痛みも緩和していった。

という感じでした。2回目接種はどうなるかわからないけど、まあこれで重症化リスクは減ったんだと思うと安心。
若い方で今後接種する場合、できれば接種後はすぐに帰宅したほうが良いかなとは思う。基本的に薬などで何かに反応することもないし、インフルにも罹患したことがないウイルスに対しては強いタイプの人間でこれなので。(ちなみにいえば水疱瘡やおたふくも未経験)

とりあえず参考まで。

シンエヴァンゲリオン

ついに旅が終わる時が来た。

私が初めてテレビ版エヴァンゲリオンを観たのはまだ無法地帯だったニコニコ動画にアップロードされていた違法動画だったと思う。

当時は暇な大学生で、夜中に一気に鑑賞したことにより、大昔に友人がよくカラオケで甘き死よきたれや残酷な天使のテーゼを歌っていたのに何のアニメなのか全く理解していなかった私の知識が補完された。そしてその続編の存在を知り、当たり前のようにシト新生やEOEもTSUTAYAでDVDをレンタルし、またもいつものように深夜に1人で鑑賞し、例の如くメンタルをやられ、そのまま旧劇場版は永遠に封印することとなった。

私のエヴァに対するファーストコンタクトは、そんな感じ。映画で唯一トラウマになった作品である。

そんなエヴァンゲリオンが終わる。終わる終わる詐欺のように、サクラダファミリアのように、永遠に終わらない物語に見えたエヴァンゲリオンが終わる。ふと我に帰ると、少なくとも新劇場版から約14年の月日が流れていることに気づく。馬鹿な大学生はただのおばさんになり、日常を貪っている。そんな日に変革をもたらすのか、着地点はどこに行くのか。何も想像できないまま劇場へと足を運んだ。

率直な感想を言えば、庵野から砂糖を投げつけられながら"お前らもちゃんと現実見て生きてけよな!!"と発破をかけてる昔からのエヴァだ、とうところだ。一つ違うのは、旧劇と違い完全なる敵意ではないということだ。愛の鞭と私は信じたいけど。監督は大人になった。たぶん、良き配偶者に恵まれ、さらにいえば理解者にも囲まれた。心境の変化はあったんだろうなということは目に見えてわかった。Qとは明らかに違う前向きさを感じた。監督自身も囚われていた作品に終止符を打つ必要があり、それに惑わされてた信者達も目を覚まさせる必要があった。最後のシーンのように。

あと絶対に外せない要素としては"東日本大震災"があった。あの未曾有の災害により、Qの方向性は大きく変わったと聞いた。そしてそれが、恐らく描こうとしていた人類補完計画という中核部分が津波という災害を連想させてしまうことなんだと、シンエヴァンゲリオンを見て気付いた。また一度に大勢の命を奪う、という行為を描くことに迷いが生じたのではないかと思う。(まああくまでも人類補完計画は魂の救済なんだけども見る人によってはフラッシュバックしてしまうだろう)迷いが生じた監督が生み出したのはあの"Q"だった。そしてあれから10年の年月が流れた。その間にシンゴジラを描き、風立ちぬで声優を務め、師とすら宮崎駿と被災地でサイン会している。庵野秀明がクリエイターに戻るための、エヴァンゲリオンを描き切るための儀式のような通過点を乗り越えてここにたどり着いた。こんなにも月日が空いたことを怒る人もいるんだろうけども、この月日の流れは必要なものだったんだと私は思う。だからこそ、2021年3月8日の上映になったのだと。

全てを救済する、というシンジくんのイエスキリストのような役割は、現実世界でも同じように救済しなければならないと言う庵野秀明の役割でもあったのではないか。図らずしも、エヴァンゲリオンという空想の話は、実際の世界とも小さく小さくリンクしていった。運命を背負わされた作品とでも言えるんじゃないかな、そう思う。

大きく見るとこの2点が題材としての感想になる。細かく見ていくと、最後のパートになると作画が旧作シリーズのような作画に戻っているような気がして、ああこれは新劇場版なんかではなくシリーズの最初の物語の続きなんだと、旧作から見てきた人間にしか分からないこのエヴァンゲリオンの雰囲気に私は嬉しくなった。(まあアスカが13号機を止めようとしたところは旧劇量産機戦を思い出してしまって耳を塞いでまた繰り返すのか…と絶望したけども。巨大綾波リアル版も出てくるし。たぶんマリの発言も同じ意味合いを含んでいたんだと思う)エヴァってこんな話だったよね。そう思うでしょ?

そして、各登場人物すべての救済がきちんと描かれ、あのアスカが!アスカが救われた!!シンジくんが救ってくれた!気持ち悪いエンドじゃなく好きだで終わってくれてありがとう…!と思って泣いた。私はもうここだけで十分。ケンスケとトウジ、委員長が生きている。ミサトさんも昔の知ってるミサトさんに戻った。カヲルくんも救った。加持さんのスイカも生き残ってる。ペンペンも仲間が増えた。こんな大団円があって良いのかと思うくらいに、すっと納得のいく作品でした。

見終わった瞬間に、終わったんだ。と全てを受け入れて、私の中のエヴァンゲリオンの物語は終わりました。綺麗さっぱりと。気になるところはたくさんあるけど、でももう十分。強いて言うならば、本来描こうとしていたQが見たかった。震災のない世界で描こうとしていた作品。でもそれはもう変えられない過去であって掘り起こすものでもない。それを受け入れていくしかないのだと思う。現実はやり直せないから。

新型コロナウイルスの今とこの先の未来

今年も残り3か月となったことに今しがた気付き、時の流れの速さと、この混とんとした2020年を総括するにあたって皆々どのように評価するのだろうかと気になった。というより9月半ば過ぎたよびっくりだよ。


感染者数は鰻登りだった7月以降、この田舎町でも感染者が続出して、さらに感染が拡大している都市部の人間が往来する状況に狂っているのかと正直に思うところ。田舎の人間が、コロナにおびえ、というより周りに広げてはならない・・・だから今は出かけない、と考える一方で、都市部の人間は平気で旅行に行き、帰省しようとする。(実際に親戚が帰省しようとしていて、この感覚の違いが何なのか全くもって理解できない状況にある。そして親戚の家族には医療従事者がいるということも忘れているのかと。倫理観や客観的な思考が欠けているのだろう)まぁもうそんなもの長期化してきた新型コロナウイルス対策に於いて意識が薄れてしまうのだろうなと思う。あほかと言いたくなるけど。

よくよく公衆衛生とはなにかと改めて意識するようになったわけですが、冷静になると通常時であっても他人のくしゃみとかで飛沫が飛び交うなかで今まで生きてきたのか・・・と気付かされ(飛沫の拡散が視覚化されてしまうと最早気持ち悪さしか残らない)コロナウイルス云々ではなく、根本的な衛生について改めてマナーとして対処しなければならないのだと思った。(昔からくしゃみ等で口を覆わなかったり、正面ではなく横向いてくしゃみして、結局横の席の人間にかかるとか、そういうの)本当にね、気持ち悪いの一言でしかない。


で、結局最初から言っている落としどころはどこになるのか、という問題。いずれはインフルエンザと同じ扱いにしたいのだろうけども、それにはワクチンであったり治療薬が必要である(この場合、ワクチンが決着なんだろう)政府が日本国民全員のワクチンを確保した、と発表したことにより、日本における新型コロナウイルスの終着は来春になるだろう。そこまでが、耐え忍ばなければならないときなのだと。まるで戦時中のようだ。でも実際そうなのだ。


過去の感染症の対策をふと思い浮かべることがあるのだが、強制力を持たせることのリスクや、薬害等の問題、感染症に対する差別(ただしこれは本当に感染する、という点も踏まえる必要がある)、それを今再びこの2020年に問題として直面するとは思わなかった。(ハンセン病サリドマイド薬害などなど)正直なところ落としどころは見えたが、それを得てもこの先生きていかなければならないとなると不安しか残らない。(ハンセン病を書いたことは、感染しないにも拘わらず隔離的措置をとったこと、そしてその偏見や差別という問題が、この新型コロナウイルスでもこの先問題になるかもしれないというところだ。感染する、しないの違いがあることは理解しているが、この未知のウイルスに対しての対処が正しかったのか、ということを見たときに訴訟等になる可能性も捨てきれないなと思った)


私個人としては、ワクチンは打ちたくない。(そもそもインフルエンザでもワクチンを打ってこなかった。そして感染したことは一度もない)副作用のリスクがあまりにも大きすぎる。ならば自分から感染しないためにもマスクや手洗いうがいという基本的なことを守るしかないなと考えている。来春行われるであろうワクチン接種がどのようになるのか、そもそもワクチンとして認可されるのか、色々と気になるが、研究者でも公務員でも政治家でもない私はただただこの先のことは傍観するしかないのだと思う。それだけだ。